属神的知恵を身につけるための考察

属神的知恵を身につけるためには、自負心をすっかり捨てなければならないが、正教会の信徒で顕著になるが、「自分たちは初代教会の教えを受け継ぐ唯一の正統派だ」という自負心も捨て去らなければならない。そうしなければイウデヤ人が「アウラアムの子である」と言って身を滅ぼしたことと同じになる。
我々が唯一の正統派だと自負するのを抑えなければ、嘗てイウデヤ人が神・人を前にしても「我々はアウラアムの子である」と言って神・人を拒んだようになってしまう。こういった自負心を持つとファリセイになってしまうし、いづれ神に「蝮の類」と審判されてしまうだろう。

いつも衝動のままに怒りをぶちまけていれば、そうした行動の所為で怒ることが習慣化し、軈て怒りの奴隷になってしまうように、行動を通して欲が霊に入ってくる。
属神的知恵を受けるための精神的実践に先立って、身体的実践をしなければならない。「麦の粒を蒔いてはじめて麦の穂が出るように、身体的実践を積んではじめて精神的実践が芽生えてくるのである。」(シリアの聖イサアク五六訓話)だ。

聖王ダウィドのように、最高の王とされて権威も獲得した人が、神の前に「私は灰であり塵である」と言ったように、ハリステアニンは謙虚である必要がある。逆に自分には価値があり世界を動かせると思い上がる方が問題だ。故に自負心も怒りの類いもきっぱり捨て去らなければ、属神的知恵を身に着けることはできない。