安楽死に関するキリスト教論に基づく訓戒と来世への備に関する訓戒

安楽死を求めることは、キリスト教論的には禁則的なことである。第一に「自死は真っ向から神に叛く行為」であり、自死した者は決して天国へはいけないと言われている。(自死という大罪を犯しても死んでしまったからその痛悔をすることができないため)。
安楽死はキリスト教論上は全く自殺と変わらないことであり、断固として認めてはならないことである。この世で最も冒涜的な言葉は「希望はない」であり、絶望することは何よりも罪深いことであるので、如何なる時も自死を選択するように絶望してはならない。如何なる苦悩が、不安が、絶望が押し寄せようとも、キリスト教論上人はそれを辛抱強く耐える必要がある。それは自身の何かの罪の報いであるか、はたまた神から与えられた霊的成長をもたらすための試練であるので、それを甘美な賜として受け認めなければ、人生を棒に振ってしまうだろう。

こんなにつらいならいっそ楽にしてはしいと思うこともあるだろうが、あなたの命日は天の神が定めるところであって、あなたが定めるところではない。この世のものは全て仮の姿で、神から一時的に与えられているにすぎないのだから、あなたはそれを自由に扱ってはならない。死んで獄や永遠の国に入るときに持っていけるものといえば、霊だけなものである。死ぬ時に持っていけない物というのはあなたに所有権がないからだ。富も名声もその身体でさえ、現世という一時の旅路の宿や酒場にすぎないのだ。そこで唯一持っていける霊を磨かないでおいて頓死したとき、あなたはどうなるというのか。この世の自分に所有権のない儚い物ばかりに執着して、そればかりを磨いて、本当の自分の物の手入れをしなずにこの旅を終えた時、あなたはどうなるのだろうか。