この世的な努力の必要性に関する厭世観的な想念

我々のこの世の儚い物事や夢想・夢への努力が何になるというのか。誰かこのことを説明してほしい。というのも,我々は愚かしくもこの世が永遠に続くものと思い込み,道楽から道楽へと,儚い物事を飛び回っているだけにすぎないからだ。そしてこれらは死によって全て失われるのだろう。死を思わない状態にある人ほど頓死し,唐突に神の裁判に招かれ,それまで道楽に耽っていた者はただゲエンナに下されるだけである。何故我々はこの無意味なことをするのか。虚しいだけではないか。永世に持っていけるものは魂だけであり,それ以外は我々の所有ではないのだ。

やらなければならないという前提を先づ疑う必要がある。この世での地位や財産等全ては死に依って絶たれる朽ちるべきものであって,頓死した時に地獄に落とされないように,常に警醒し罪を避けなければならない,詰まりは信仰を実践し修行しなければならない訳だが,この世での思い煩いがあると,我々の理性は歪んでいる為に,そのことに注意を惹かれてしまい,神や来世のことを思わなくなり,修行を怠るではないか。朽ちるべき虚しいだけのこの世のことに執着し,それが本当にやるべきことだと盲信し,本来のこの世での旅路の意義を失えば,それは霊の死ではないか。

我々は原祖の罪に因り楽園を追放され,この一時に流刑地に流されたが,この世の存在意義は我々が神に帰り着く«神への愛»を取り戻し,神に体合して征き,ハリストスに依って成し遂げられた救贖の望みを失うことなく,楽園へと再び入れてもらえるよう努めることに他ならない。故にこの世の儚い物事への執着や,夢や夢想を抱くことは虚しいだけだ。それで努力して不動の地位を手に入れた,或いは思う通りの生活が実現したとしても,それは永遠には続かず,軈て朽ち果てるのだ。そんな一時の栄華・安楽の為に永遠の福楽を放棄する愚か者が我々人間なのだ。