性行為や性的部位の解放に対する批判
正教会的立場では性行為や性的部位そのものが穢れや罪的である訳ではなく,本来の目的から逸脱した意図・目的で行われる行為が悪魔的とされているのである。人間の性規範は神の裁定の通りに行われるべきであり,人間の文化の変遷等で変わるべきではない。愛と子孫繁栄という本来の目的から見れば,性行為や性的部位は神聖なものであり,聖職者であれこの本来の目的に従えばこれを享受する。問題なのはこの規範に従わない,陥罪しきった現代の人間社会の方だ。快楽の為に性的部位や行為の規制からの解放を掲げるのは悪魔である。それは本来の意図・目的から逸脱しているものであり,陥罪して歪められた理性故に生じる,誤った感覚である。これに嵌ったままでいれば,あなた方は無感覚という罪に溺れ,救贖の望みを失うことになる。
cf., ツイート[@einerzy 2025.09.20 05.02],以下発端ツイート引用
„暇なので政治の話でもするか
キリスト教倫理に裏打ちされた性嫌悪文化に基づく性表現規制を撤廃しよう!
我らは性的とされる部位を皆持っており、性的部位が罪ならば我らは皆罪人か?!
性嫌悪を社会から除くことは奴隷制度や人種隔離を世俗倫理から除いたときのように可能である!
当時の常識は現在の非常識になった!現在の常識を未来の非常識にすることも、さらにその逆もまた可能である!
現規範の構成員が多数派であることは意識改革をしない理由ではない!
「子供を"有害"な情報から守る」ために18禁とかいう恣意的かつ強要的区分を設けることと、イスラム教徒が外部文化から子供を守るために学校を打ち壊すことは相似である!
現界、異界問わず、”ある”または”あった”ことを自由に描けないのはあり得る世界の空間の探索において甚だしい障害である!
”ゾーニング”やら”TPO”で販路が限定されることも空間を歪める!
無規制・無制限の自由創作に万歳!“