自責という義務に関する訓戒
自身を裁くことは我々の義務なので。その上で神に対して赦しを乞い,痛悔して行けば良い。ただ自分が隣人に対して猜疑心から言動をするのは確かであり,これは隣人愛の欠如した私自身の罪である。自分は単にこの世の人に望みを置けないというだけであり,最も愛すべき存在〈神〉に対して何の疑念も抱いていない。神が私を愛していることを何も疑っていない。
我々が人生の内に完成することはなく,謝ったところで完全に罪から解放されるのは不可能であって,この不可能なことを神も求めてはいない。重要なのは罪を犯した自覚を持ち,絶えずそれを痛悔することであり,嘆くことではなく,この罪に対して我々が成熟しないからといって諦めるならば最早救いの余地はないのではないか?というのも,この救いというのは人間と神との間に築かれるこの世の一生を通した過程であって,それを我々が諦めてしまったら最早この救いという過程そのものを放棄しているからである。故にそこにあるのは滅びだけであり,私はそのことを望まない。