義罰と正しい理性の関係に関する考察

人はしばしば自身に向けられた不義や苦痛を、自身の気に入らない他者に同じ形で向けてしまうらしい。不義や苦痛を受けてきた人ほど他者の痛みが分かりそうなものだが。
自分が苦しい状況にいるからといって他の人を道連れにしようと、他の人も苦しめようと、呪ってばかりいるのは虚しい。そういう状況でこそ自身に幸福が与えられるように、正しく祈る姿勢でいる必要がある。現状や幸福な他者を呪っても何も解決しない。自分に与えられた苦しみが霊的成長を齎す試練であり、罪に陥らないための釘であると理解する必要がある。
人は幸福な状態にいればいるほど不幸な他者を捨て置き、孤独であることを忘れ、この世の財産や地位は全て虚しいことも忘れ、そして私欲を恣にして罪に溺れていく。適度な義罰の中でこそ人は正しい理性を保つことができる。